2008年12月04日
ワグナー・ジェームス・アウの本を読んでみて・・
邦題はともかくワグナー・ジェームス・アウ(以降W.Jと省略)のMaking of Second Lifeを読んでみて、まず内容については、言及しなくても以下に要約があるので、それを参考にしてもらえればいいのですが、
http://www.future-planning.net/x/modules/news/article.php?storyid=3277

私にもちょっと勘違いしてた部分がありまして、それはJessieコンバットSIMについて。まずこの抗争が直接的にはLinden Xのきっかけとなったわけではなく、現在のPG指定やMatureなどの区画整理とBig6のルールを明確にした初めての出来事であり、リンデンが模索の中で、住人に介入する場合でも、「より住人からのフィードバックを元にしなければ、結局は反対されその提案は無視されるし、常にリンデンの意向とはかけ離れたところに、SLの真実が生み出されてきた」証拠であったこと。
税制というよくある会員制で料金を徴収するのではなく、土地の販売で利益を生み出す方法のきっかけは土地を巡るJessieの人々と、平和を好む住人との抗争の中でその終結と共に”偶然”に近いカタチで創られたことというのがとても印象的でした。
それと、SLはまだ”リンデンワールド”といって限られたごく少数の人たちにだけ公開されたいた頃、まだゲームとしてか、SNSとしてか、どうなるかもリンデン自身にもまるで方向がみえていなかったというのも意外でした。
きっかけは投資家に対する説明会の中で、雪だるまを崇拝する子雪だるまというシチュエーションのデモを見て、誰もがそれが全てユーザーがインワールド内で創った物同士でやり取りされていることで、投資をしていたミッチ・ケイパーの目にも「これは、いずれネット世界を大きく変えるかもしれない」とその場にいた人誰もが確信したようです。
現在ネットでの多くのトラフィックを獲得してるのは、素人が作ったりUPしたブログやYoutubeなどのストリーミングなどで、あとなネットショッピングや、ちょっとした知識を得るにもウィキペディァなども、結局は非営利のボランティアで成り立っているのはご承知のことですよね。
コンテンツは全てユーザーが生み出す。
このことは、実はネット業界では一番困難で企業にとっては難しい部分で、なにせそれは営利とはかけ離れた方向に動くこともあるし、結果として収拾がつかなくなるのもその理由です。
しかしリンデンは公開を決定したとき、この”契約”を確約したのです。当たり前ですが、当時誰もが1年以内にはネット界から消滅するだろうと言われました。しかし、今では最も注目されるのは個人の作ったコンテンツサイトか、そレに関係するサイトです。
これはまた、インワールド、つまりSL内でも同じでした。企業が作ったSIMはほとんど見向きもされず、逆に有名ブランドとしてSLで覇者となれたのは、無名の個人、それもプロ並みの技術を持つ素人でしたから。
不思議ですが、考えてみればよくあるTV番組の素人投稿ビデオ特集などは、みていてあれほど面白いモノはないですよね。背景には「これを使ってなにか自分たちの意図を伝えよう」という意向は゜まるでないから・・ともいえるし、ほとんど演出無しでそれはそのまま現場を撮影した物ですから、意外な映像をかいま見れるというのは、誰もが興味を抱かずにいられません。
SLで賞賛されるのは、1個人が作ったコンテンツであり、その目的は決して企業的価値とは無関係。
まさにそれは、リンデンが意図したものではなくて、偶発的な物でした。
常に偉大な発明が起こりえる場合、この偶然がいくつも折り重なって形成され、最終的にそこに結びつくことは歴史をみると数多く見受けられます。
私もSLに始めてINしたときは、しばらく途方に暮れましたが、作者が言っているように「何もすることが見つからない場合、出来るだけINしている状態を長く保つこと」が重要です。ビュワーをいじってみてもいいし、TPをしまくるのも良いから、すぐにログアウトするなということでしょうね。
結局私はその方法で、2週間もたたずにクラブで踊りながら、世界中の人とチャットしてましたし。実をいうとこのブログも私が初めてSLを始めてからひと月たつかたたないかのウチにスタートさせています。最初のページはイタリアの彼氏と別れ、もらった家を明け渡し、一人きりになったときですが・・^^。
その後、彼氏とパートナーとなった友達がSLを去り、そして行きつけのクラブが消滅し、大きなライブイベントを開催していたグループが事実上解散し、私にはやることがあまり多くなくなったとき、それまでのSLの経験から、ふとJapan Resortを歩いていたとき、「SLって何が良いのか私にはわからない。いつもここか、友達のカフェでおしゃべりしてログアウトするだけ・・」というつぶやきがチャットに流れ、何かわたしにもSLの中で、「凄い面白い場所があるんだよー^^」って教えてあげられたらなぁ・・とそんな思いから、SL内だけで完結するチュートリアルやガイドブックがつくれないかなぁという考えがきっかけで、Secod Life Publish Company in Japanを立ち上げ、RAMを刊行しました。
RAMは出来上がって販売までこぎ着けたのはまだ半年くらいでしょうし、しかも未だ創刊号。でも次号発売までのこの期間、結局90冊近く販売できました。私はショップは持っていませんし、インワールドには3箇所にしか自販機を設置せず、ここのブログ以外にはほとんど口コミだけの宣伝で・・です。
次号はなんとかして今月、つまり今年中には販売します。
SLでは、目標というより「何か私もSLでコンテンツをつくりたい」という気持ちから大きく変わっていきます。LSLがわからなくても、いい加減な知識の寄せ集めでも、きっかけとして何かあって行動を起こすと、SLは実によくできたキャンバスだとわかります。他のSNSにしろ、このソラマメでのブログにしろ、完全な双方向コミュニケートが実現できてるとは言い難いものがありますが、SL内では「共同作業を実感できる」場所が用意されてるし、アバターに感情移入することは、それが当たり前で成り立っている世界でもあります。
この没頭して感情移入し易い世界に、土地や建造物や服や時にはアバターそのものでさえ作ることが許されているんですから、革命的と言っていいでしょう。Livelyにはこのうちのどれかが完全に抜け落ちていました。
今では制約は多少有り、しかもいつものようにリンデンの意図した計画は常に住人から、様々な反感やあらぬ方向へと移ってしまってます。
Livelyは終焉を迎えることになりましたが、リンデンはそれ以上に数々の大きな失敗、いえ、失敗だらけでここまで来たことがこの本をよむことでよくわかります。
Second Lifeが誕生した象徴的な出来事。
それはSLがまだリンデン・ワールドという名前で、ごく少数のユーザーにだけ解放されていた2002年。インワールドにはリンデンが作った小さな街がぽつんとあるだけ・・。この時最初に登録した当時のSL名ステラー・サンシャインという女性。彼女を残し、リンデンスタッフ全員が会社を(といっても近所にいかがわしいショップが並ぶ荒んだ街の倉庫)後にしたそうです。
翌朝出社してスタッフがログインすると、丘のてっぺんに小さな小屋が造られ、屋根に煙突があり煙がたなびき、その脇に天にまで届きそうなマメの木が生えていた・・。それはちょっとしたゲームになっていて、飛行をせずにマメの木の葉っぱを飛び移っててっぺんまでいければ、ちょっとしたご褒美があるといった仕掛けだったようです。
これがSLの最も初期のコンテンツで、ユーザーが作り上げた最初の物。
よく考えてみると、SLの至る所で繰り広げられてる光景ではありませんか?
わたしも時々思うことがありますが、「現実世界では、思った通りのことをしようと思うと、なにがしかの場所へ出かけなければならなかったり、道具を買わなければならなかったり、それを使いこなすための技術を磨いたり、他人と自分との優劣を気にして憂鬱になったりしますが、SLではINしてその気になると、それは多少の出費やPCの性能は影響を受けますが、ほとんど誰もがクリエイターになります。
そうならなくても、スキンやシェイプを全くいじらないで過ごしている住人はほとんど皆無でしょう。
SLのアバターは着せ替え人形ではありません。
SLのほとんどは、結局この最初の登録者、ステラーが行った行動中にほとんど集約されているんでしょうね。
SLでは女性がとても多いのですが、考えてみれば昼夜問わず合間をみてIN出来る立場にあるのは、家庭の主婦です。SLには結婚で退職したあと、第2の自分の腕試しにSLにINする方がとても多いんだそうです。わたしもいずれそうなるのかしら?^^アハハ
http://www.future-planning.net/x/modules/news/article.php?storyid=3277
私にもちょっと勘違いしてた部分がありまして、それはJessieコンバットSIMについて。まずこの抗争が直接的にはLinden Xのきっかけとなったわけではなく、現在のPG指定やMatureなどの区画整理とBig6のルールを明確にした初めての出来事であり、リンデンが模索の中で、住人に介入する場合でも、「より住人からのフィードバックを元にしなければ、結局は反対されその提案は無視されるし、常にリンデンの意向とはかけ離れたところに、SLの真実が生み出されてきた」証拠であったこと。
税制というよくある会員制で料金を徴収するのではなく、土地の販売で利益を生み出す方法のきっかけは土地を巡るJessieの人々と、平和を好む住人との抗争の中でその終結と共に”偶然”に近いカタチで創られたことというのがとても印象的でした。
それと、SLはまだ”リンデンワールド”といって限られたごく少数の人たちにだけ公開されたいた頃、まだゲームとしてか、SNSとしてか、どうなるかもリンデン自身にもまるで方向がみえていなかったというのも意外でした。
きっかけは投資家に対する説明会の中で、雪だるまを崇拝する子雪だるまというシチュエーションのデモを見て、誰もがそれが全てユーザーがインワールド内で創った物同士でやり取りされていることで、投資をしていたミッチ・ケイパーの目にも「これは、いずれネット世界を大きく変えるかもしれない」とその場にいた人誰もが確信したようです。
現在ネットでの多くのトラフィックを獲得してるのは、素人が作ったりUPしたブログやYoutubeなどのストリーミングなどで、あとなネットショッピングや、ちょっとした知識を得るにもウィキペディァなども、結局は非営利のボランティアで成り立っているのはご承知のことですよね。
コンテンツは全てユーザーが生み出す。
このことは、実はネット業界では一番困難で企業にとっては難しい部分で、なにせそれは営利とはかけ離れた方向に動くこともあるし、結果として収拾がつかなくなるのもその理由です。
しかしリンデンは公開を決定したとき、この”契約”を確約したのです。当たり前ですが、当時誰もが1年以内にはネット界から消滅するだろうと言われました。しかし、今では最も注目されるのは個人の作ったコンテンツサイトか、そレに関係するサイトです。
これはまた、インワールド、つまりSL内でも同じでした。企業が作ったSIMはほとんど見向きもされず、逆に有名ブランドとしてSLで覇者となれたのは、無名の個人、それもプロ並みの技術を持つ素人でしたから。
不思議ですが、考えてみればよくあるTV番組の素人投稿ビデオ特集などは、みていてあれほど面白いモノはないですよね。背景には「これを使ってなにか自分たちの意図を伝えよう」という意向は゜まるでないから・・ともいえるし、ほとんど演出無しでそれはそのまま現場を撮影した物ですから、意外な映像をかいま見れるというのは、誰もが興味を抱かずにいられません。
SLで賞賛されるのは、1個人が作ったコンテンツであり、その目的は決して企業的価値とは無関係。
まさにそれは、リンデンが意図したものではなくて、偶発的な物でした。
常に偉大な発明が起こりえる場合、この偶然がいくつも折り重なって形成され、最終的にそこに結びつくことは歴史をみると数多く見受けられます。
私もSLに始めてINしたときは、しばらく途方に暮れましたが、作者が言っているように「何もすることが見つからない場合、出来るだけINしている状態を長く保つこと」が重要です。ビュワーをいじってみてもいいし、TPをしまくるのも良いから、すぐにログアウトするなということでしょうね。
結局私はその方法で、2週間もたたずにクラブで踊りながら、世界中の人とチャットしてましたし。実をいうとこのブログも私が初めてSLを始めてからひと月たつかたたないかのウチにスタートさせています。最初のページはイタリアの彼氏と別れ、もらった家を明け渡し、一人きりになったときですが・・^^。
その後、彼氏とパートナーとなった友達がSLを去り、そして行きつけのクラブが消滅し、大きなライブイベントを開催していたグループが事実上解散し、私にはやることがあまり多くなくなったとき、それまでのSLの経験から、ふとJapan Resortを歩いていたとき、「SLって何が良いのか私にはわからない。いつもここか、友達のカフェでおしゃべりしてログアウトするだけ・・」というつぶやきがチャットに流れ、何かわたしにもSLの中で、「凄い面白い場所があるんだよー^^」って教えてあげられたらなぁ・・とそんな思いから、SL内だけで完結するチュートリアルやガイドブックがつくれないかなぁという考えがきっかけで、Secod Life Publish Company in Japanを立ち上げ、RAMを刊行しました。
RAMは出来上がって販売までこぎ着けたのはまだ半年くらいでしょうし、しかも未だ創刊号。でも次号発売までのこの期間、結局90冊近く販売できました。私はショップは持っていませんし、インワールドには3箇所にしか自販機を設置せず、ここのブログ以外にはほとんど口コミだけの宣伝で・・です。
次号はなんとかして今月、つまり今年中には販売します。
SLでは、目標というより「何か私もSLでコンテンツをつくりたい」という気持ちから大きく変わっていきます。LSLがわからなくても、いい加減な知識の寄せ集めでも、きっかけとして何かあって行動を起こすと、SLは実によくできたキャンバスだとわかります。他のSNSにしろ、このソラマメでのブログにしろ、完全な双方向コミュニケートが実現できてるとは言い難いものがありますが、SL内では「共同作業を実感できる」場所が用意されてるし、アバターに感情移入することは、それが当たり前で成り立っている世界でもあります。
この没頭して感情移入し易い世界に、土地や建造物や服や時にはアバターそのものでさえ作ることが許されているんですから、革命的と言っていいでしょう。Livelyにはこのうちのどれかが完全に抜け落ちていました。
今では制約は多少有り、しかもいつものようにリンデンの意図した計画は常に住人から、様々な反感やあらぬ方向へと移ってしまってます。
Livelyは終焉を迎えることになりましたが、リンデンはそれ以上に数々の大きな失敗、いえ、失敗だらけでここまで来たことがこの本をよむことでよくわかります。
Second Lifeが誕生した象徴的な出来事。
それはSLがまだリンデン・ワールドという名前で、ごく少数のユーザーにだけ解放されていた2002年。インワールドにはリンデンが作った小さな街がぽつんとあるだけ・・。この時最初に登録した当時のSL名ステラー・サンシャインという女性。彼女を残し、リンデンスタッフ全員が会社を(といっても近所にいかがわしいショップが並ぶ荒んだ街の倉庫)後にしたそうです。
翌朝出社してスタッフがログインすると、丘のてっぺんに小さな小屋が造られ、屋根に煙突があり煙がたなびき、その脇に天にまで届きそうなマメの木が生えていた・・。それはちょっとしたゲームになっていて、飛行をせずにマメの木の葉っぱを飛び移っててっぺんまでいければ、ちょっとしたご褒美があるといった仕掛けだったようです。
これがSLの最も初期のコンテンツで、ユーザーが作り上げた最初の物。
よく考えてみると、SLの至る所で繰り広げられてる光景ではありませんか?
わたしも時々思うことがありますが、「現実世界では、思った通りのことをしようと思うと、なにがしかの場所へ出かけなければならなかったり、道具を買わなければならなかったり、それを使いこなすための技術を磨いたり、他人と自分との優劣を気にして憂鬱になったりしますが、SLではINしてその気になると、それは多少の出費やPCの性能は影響を受けますが、ほとんど誰もがクリエイターになります。
そうならなくても、スキンやシェイプを全くいじらないで過ごしている住人はほとんど皆無でしょう。
SLのアバターは着せ替え人形ではありません。
SLのほとんどは、結局この最初の登録者、ステラーが行った行動中にほとんど集約されているんでしょうね。
SLでは女性がとても多いのですが、考えてみれば昼夜問わず合間をみてIN出来る立場にあるのは、家庭の主婦です。SLには結婚で退職したあと、第2の自分の腕試しにSLにINする方がとても多いんだそうです。わたしもいずれそうなるのかしら?^^アハハ