2009年04月15日
未開である意味
最近SLに直結していない話題が多くて恐縮です^^;;。
最近、知り合いのSIMが近日移転となり、元あったSIMは譲渡で、継続(もともとオーナーは違っている)。
そして移転先はレンタルとして住宅を提供するんですが、環境を敢えて整地せず基本的に住人任せにする実験なんだそうです。
今日とある深夜の番組をみていて、「それは違うでしょ?」とおもわずカチンときた番組がありました。
なんでもアマゾンがなんかの先住民保護区に暮らす人々のドキュメントなんですが、個人的に私は未開の土地であろうがなかろうが、人間はすべて同じようなもんだと思っています。
未開の土地で自然に暮らすから、「この人たちはすごいんだ」などと鵜呑みにするようなことはしません。
頭きたのは、そもそも保護されて暮らす環境下なんですから、原住民はそのことを知らされているのかいないのかは定かではありませんが、文明のあるほかの種族を「ヤプ」と呼んでさげすむ姿勢と、それを取材する立場の目線はまったく同質であるにもかからわず、”異質な文化を守る”ようななんか勘違いした構成に腹が立ちました。
そもそも差別は原住民からしてあるんですから、文明がなかろうがその時点で下等に属する生き物だといえます。それは文明のある文化でもまったく同じです。
動物を殺して食するのも文明ではむしろ残虐なほど大規模だし、それ専用に飼育した生き物を殺すのはいとわないが、ペットを殺せば虐待となります。
面白いのはこうした原住民もペットとして犬を飼っています。
「ヤプ」と私たちを呼ぶ割に生意気にサンダルを履いてるところを見るしたたかさをみると、どうも文明にもちょっとは感化されています。
なんかちと、いい加減「私たちが彼らを暖かくみまもろう」といった上から目線はやめて、なるようになれとばかりほっとけばいいんじゃないの?と疑問を感じました。
治るわけないドラッグで病をトランスした状態で奇声を発する姿に、ちょと現代の行き過ぎた医療と同じような匂いを感じ、いい加減にしなよ、こういうわざとらしい映像は!!とちょとゲンナリ。
そもそもこうした幻覚を催すことで病を直すシャーマンというのは、各地で見られますがどーもこいつらのは、他からもちこまれた臭い。しかも最近・・。儀式じゃなくてただやってるだけってのが合点がいかないのよねぇ・・・・。真似してやってるくさい。
どうしてこうも現代の都市部に住む人たちは、素直に「遅れてるのねぇ」とか、「馬鹿じゃねーか?」という素直な気持ちをオブラートに隠してあたかも自然主義なんですよと演出したがるのでしょうか?
オーストラリアのアボリジニーは第一に白人によって排除され、いまさらながら保護区とか囲いのなかで暮らし、彼らも文明を自ら絶ちその弊害を承知の上で暮らしているんだそうで、現代人を馬鹿にしたり卑下する態度はありません。彼らは自分の言葉や文化をまるっきり奪われ、一部の原住民の中にはすでに種族闘争で仲間が失われ、同じ言葉で通じる種族がたった2人しかないところもあるそうです。
地球上でその2人しか理解できない言葉なんだそうで・・。
その種族の隣の村の族長はニューヨークも行ったことがあるそうです。感想としては「多くの道具を使うために更なる道具をつくらねばならぬから、働くことが義務となっている。そのために物々交換では間に合わないのだろう。私たちも、自然に逆らって生きなければならないのは同じだ。どちらを選ぶかの違いだけで、私たちはそれを選ばない選択肢に従っただけだ」といっていました。
なぜ武力闘争をしてお互いに滅ぼしあうのか?という質問には、「所詮あなたたちと私たちは、大きな差はないのです。私たちはお金のために争うことをしない代わり、多くの動物が手に入る森は、多くの家族を養う上では必要です。欲の質は同じなんですよ。どう選ぶかというだけ。」
さすがに現代教育を受けなくても、こうした長老はすごいこといいます。
この種族はサンダルすらはかず、まったくの全裸。しかも狩は単独で行います。理由は「集団で狩をするうち、必ずとりすぎていることに気づかなくなるから」なんだそうです。
しかしこの放送で見る限り、このアホ保護区原住民連中、アホ現代人と何も大差ありません。
無知とはもっとも恐ろしい病だとは賢人の言葉ですが、文字通り「自然は俺たちのもの」といわんばかりで知ったかぶりに”魂論”をはじめる自称賢者はむしろ狂人の範疇。武器をもって狩をして”命食らって生きてる”癖に、えらそうなことを私たちに言える立場かよ?って。
あのね、ジャガーやタイガーは自分の牙で狩をしてるんだよ。程度が低い私たちとは雲泥の差があるのよ。それが自活というものだわ。人間はそれを補うために道具を発明したのよ?ボンクラさん。
まったく同じというか同質でしょ?なぜ彼らに「君はまったくの馬鹿だね」という勇気が私たちないのでしょうか?自然に逆らっているのはむしろ未開のひとも都会の人も同じ。ただ欲望は都会のほうが無益ですが。
この人たちを保護してるのは、ただの現代文明に生きる私たちの単なる自己満足と思えました。
彼らがひとたび欲望に目覚めれば、それこそ恐ろしい勢いで森林を破壊しつくすでしょう。
1っポンの草木もない原住民の住まいをみると、やっぱりこいつらもやることは同じジャンと思えましたけどね。どーせ植物焼きはらって始末してるんでしょうけど。
草木ボーボーの中にあってマッパで寝転んで暮らしてますっていうのなら、自然だろうけどそうもイカねーってわけなんでしょ?馬鹿か?こいつら?!
「てめーらにエラソーなこといわれる筋合いはねーよ。居住区で守られて生きてる自覚すらねーんだから。それすらも考慮にいれずしてお説教だと?テメーラが偉いとでも?」
偽善番組としてしか、わたしには思えませんでした。正直、私なら「お前らボンクラかマヌケだろ?」ってポルトガル語でいいますけどねぇ。アホタレな原住民にあきれるばかりでした。
この馬鹿共自然破壊で自分たちを脅かす動物がいない保護区で気ままにやれてっから、フザケたこと抜かしてるんよ。
無知は決して賢者ではない。
愚か者は自分を神の使者と名乗るが、それならなぜ武器を持つのだ?
自分を神や神と話ができるというのなら、やってみるがよい。飢え死にしてもそれは自分のせいだと。
人は常に何かに欠けている。
命を必要以上に殺さないと生きていけないのだから。
馬鹿は滅んでも私は成り行きだと思いますけどねぇ。
やめましょう。エセ自然主義。吐き気がする。某N○Kの今日の深夜番組。
アホタレ原住民の持ち上げはいい加減飽き飽きだわ。現代人以下じゃんか。
そういう環境下にした私たちに、大いに責任がありますが「保護されて満足」っていうのはちとちがうんじゃね?ヤプならぬヤプーじゃないんだから。
最近、知り合いのSIMが近日移転となり、元あったSIMは譲渡で、継続(もともとオーナーは違っている)。
そして移転先はレンタルとして住宅を提供するんですが、環境を敢えて整地せず基本的に住人任せにする実験なんだそうです。
今日とある深夜の番組をみていて、「それは違うでしょ?」とおもわずカチンときた番組がありました。
なんでもアマゾンがなんかの先住民保護区に暮らす人々のドキュメントなんですが、個人的に私は未開の土地であろうがなかろうが、人間はすべて同じようなもんだと思っています。
未開の土地で自然に暮らすから、「この人たちはすごいんだ」などと鵜呑みにするようなことはしません。
頭きたのは、そもそも保護されて暮らす環境下なんですから、原住民はそのことを知らされているのかいないのかは定かではありませんが、文明のあるほかの種族を「ヤプ」と呼んでさげすむ姿勢と、それを取材する立場の目線はまったく同質であるにもかからわず、”異質な文化を守る”ようななんか勘違いした構成に腹が立ちました。
そもそも差別は原住民からしてあるんですから、文明がなかろうがその時点で下等に属する生き物だといえます。それは文明のある文化でもまったく同じです。
動物を殺して食するのも文明ではむしろ残虐なほど大規模だし、それ専用に飼育した生き物を殺すのはいとわないが、ペットを殺せば虐待となります。
面白いのはこうした原住民もペットとして犬を飼っています。
「ヤプ」と私たちを呼ぶ割に生意気にサンダルを履いてるところを見るしたたかさをみると、どうも文明にもちょっとは感化されています。
なんかちと、いい加減「私たちが彼らを暖かくみまもろう」といった上から目線はやめて、なるようになれとばかりほっとけばいいんじゃないの?と疑問を感じました。
治るわけないドラッグで病をトランスした状態で奇声を発する姿に、ちょと現代の行き過ぎた医療と同じような匂いを感じ、いい加減にしなよ、こういうわざとらしい映像は!!とちょとゲンナリ。
そもそもこうした幻覚を催すことで病を直すシャーマンというのは、各地で見られますがどーもこいつらのは、他からもちこまれた臭い。しかも最近・・。儀式じゃなくてただやってるだけってのが合点がいかないのよねぇ・・・・。真似してやってるくさい。
どうしてこうも現代の都市部に住む人たちは、素直に「遅れてるのねぇ」とか、「馬鹿じゃねーか?」という素直な気持ちをオブラートに隠してあたかも自然主義なんですよと演出したがるのでしょうか?
オーストラリアのアボリジニーは第一に白人によって排除され、いまさらながら保護区とか囲いのなかで暮らし、彼らも文明を自ら絶ちその弊害を承知の上で暮らしているんだそうで、現代人を馬鹿にしたり卑下する態度はありません。彼らは自分の言葉や文化をまるっきり奪われ、一部の原住民の中にはすでに種族闘争で仲間が失われ、同じ言葉で通じる種族がたった2人しかないところもあるそうです。
地球上でその2人しか理解できない言葉なんだそうで・・。
その種族の隣の村の族長はニューヨークも行ったことがあるそうです。感想としては「多くの道具を使うために更なる道具をつくらねばならぬから、働くことが義務となっている。そのために物々交換では間に合わないのだろう。私たちも、自然に逆らって生きなければならないのは同じだ。どちらを選ぶかの違いだけで、私たちはそれを選ばない選択肢に従っただけだ」といっていました。
なぜ武力闘争をしてお互いに滅ぼしあうのか?という質問には、「所詮あなたたちと私たちは、大きな差はないのです。私たちはお金のために争うことをしない代わり、多くの動物が手に入る森は、多くの家族を養う上では必要です。欲の質は同じなんですよ。どう選ぶかというだけ。」
さすがに現代教育を受けなくても、こうした長老はすごいこといいます。
この種族はサンダルすらはかず、まったくの全裸。しかも狩は単独で行います。理由は「集団で狩をするうち、必ずとりすぎていることに気づかなくなるから」なんだそうです。
しかしこの放送で見る限り、このアホ保護区原住民連中、アホ現代人と何も大差ありません。
無知とはもっとも恐ろしい病だとは賢人の言葉ですが、文字通り「自然は俺たちのもの」といわんばかりで知ったかぶりに”魂論”をはじめる自称賢者はむしろ狂人の範疇。武器をもって狩をして”命食らって生きてる”癖に、えらそうなことを私たちに言える立場かよ?って。
あのね、ジャガーやタイガーは自分の牙で狩をしてるんだよ。程度が低い私たちとは雲泥の差があるのよ。それが自活というものだわ。人間はそれを補うために道具を発明したのよ?ボンクラさん。
まったく同じというか同質でしょ?なぜ彼らに「君はまったくの馬鹿だね」という勇気が私たちないのでしょうか?自然に逆らっているのはむしろ未開のひとも都会の人も同じ。ただ欲望は都会のほうが無益ですが。
この人たちを保護してるのは、ただの現代文明に生きる私たちの単なる自己満足と思えました。
彼らがひとたび欲望に目覚めれば、それこそ恐ろしい勢いで森林を破壊しつくすでしょう。
1っポンの草木もない原住民の住まいをみると、やっぱりこいつらもやることは同じジャンと思えましたけどね。どーせ植物焼きはらって始末してるんでしょうけど。
草木ボーボーの中にあってマッパで寝転んで暮らしてますっていうのなら、自然だろうけどそうもイカねーってわけなんでしょ?馬鹿か?こいつら?!
「てめーらにエラソーなこといわれる筋合いはねーよ。居住区で守られて生きてる自覚すらねーんだから。それすらも考慮にいれずしてお説教だと?テメーラが偉いとでも?」
偽善番組としてしか、わたしには思えませんでした。正直、私なら「お前らボンクラかマヌケだろ?」ってポルトガル語でいいますけどねぇ。アホタレな原住民にあきれるばかりでした。
この馬鹿共自然破壊で自分たちを脅かす動物がいない保護区で気ままにやれてっから、フザケたこと抜かしてるんよ。
無知は決して賢者ではない。
愚か者は自分を神の使者と名乗るが、それならなぜ武器を持つのだ?
自分を神や神と話ができるというのなら、やってみるがよい。飢え死にしてもそれは自分のせいだと。
人は常に何かに欠けている。
命を必要以上に殺さないと生きていけないのだから。
馬鹿は滅んでも私は成り行きだと思いますけどねぇ。
やめましょう。エセ自然主義。吐き気がする。某N○Kの今日の深夜番組。
アホタレ原住民の持ち上げはいい加減飽き飽きだわ。現代人以下じゃんか。
そういう環境下にした私たちに、大いに責任がありますが「保護されて満足」っていうのはちとちがうんじゃね?ヤプならぬヤプーじゃないんだから。
Posted by arado at 02:12│Comments(0)
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