ソラマメブログ
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2008年06月28日

TVを見ていてふと思うこと

ちょうど先週いろいろと書いてたマトリックス。今日その最終版がTVでやっていてちょっと思いました。

まあ、3部作最後は結局SFではよくある結末だなぁとおもいながら、ネオが最後に「これは必然だ」といった部分がちょっとひっかかりました。

そういや、実のところワタクシが思うに、例えば新たなIT技術が世に出てきたとしますよね?

そんな場合、恐らく世間は2つに別れるんですよね。

一方は利用する側と、一方はそれを受け入れる側。実のところワタクシもボンクラながら、PerlとかPHPとかアセンブラ、C++まで一応知識として勉強していたんですが、(その中でたまたま趣味の一環としてはじめたXMLスキーマの方が、やたらと詳しくなってしまいました^^;;)そんな中で、フトいつも考えるのが、「モノってやたら細かくすると、結局あるんだか無いんだかよくわからなくなるわよね・・」ってお台所で野菜刻みながら感じるんですよね・・。

いったい何のこっちゃって思うでしょうけど、現代のコンピューターの原型を理論上最初に実現した人ってのがいるんですが、その人の名前はアラン・チューリング。

謎の死を遂げて、一節では同性愛者ともいわれていますが、元は第2次世界大戦のナチスの暗号解読でその名を世に知らしめた人物です。この時使われたのが、プログラムでよく聞くアルゴリズムだといわれます。コンピューターの父ともいわれますよね。

その理論上のPCマシンを「チューリング・マシン」というのですが、アタイは美大出身で数字にものスゴーく疎いんですが^^、 まあそのマシンは理論上現在のコンピューターの行く末を暗示しているんだそうです。

よくある謎解きで、今でもなかなか答えのでない問題というのがありますが、

例えばですね、一人のセールスマンがある街にいって1件1件訪問セールスをしたとしますでしょ?
しかしですねぇ、結局長年同じトコロ以外通るわけでもなく、街ごとに道も違うんで1日回れるお宅っていうのはマチマチですよねぇ。

で、これを効率よくやろうとすると、結局どこか偶然でも重ならないと、無理!!!ってなワケになります。「そんなのねぇ、やってみんとワカランよ」って具合です。計算上でどの街でも効率よく回れる方法など、無いよってことですね。

これ、非常に計算できない問題として「巡回セールスマン問題」っていうれっきとした数学上の大問題なんだそうです。つまり「なんか偶然が重ならないと、解決できない場合」ってわけ。

で、これを解決できるかも?とかいわれてるのが「猟師」じゃなかった、量子コンピューターってやつ。
具体的には、電子っていうのは何十万分の1とかそれ以下の値になると、「うーん電気あるんだかどうだかわかんないや」ってそこから先は、ほとんど誰にも予測できない領域にはいって行きます。

こうなると何兆分のナンとかとか、とにかく数字はどうでもよくて、現象として動作が確認できりゃいいやってな、ずいぶんどうでも良い感じになります。まあこっから先は例えば、バクテリアなんかに単純に1+1みたいなアホな計算を宇宙規模クラスの数で計算した結果を統合すれば、「ある程度これでいいじゃね?」ってな答えが出て来るってそん具合なんだそうです。

実際コンピューターは色々やってるようで、PCの計算は加算、減算の繰り返し以外何も出来ません。電気が流れたか流れてねーかぐらいの判断を、狂ったような早さでやれる程度。

「計算しても結果はどうでもいいや」ってこうなるとコンピューターでもどうでも良いですよね?

しかしチューリングマシンを理論上、様々なテストをした結果、最終的に「なんだか数字をヒタスラ細かくすると、あってもなくてもどうでもよくなるなぁ」って事に気付いたそうで、これがある意味PCの限界というか臨界点なんだそうです。

で、マトリックスの映画では、反乱分子みたいのがやたら増殖していきますが、考えてみると例えば”ウィルスだらけで生きてる生物”ってもはや病人ではないですよね?それが普通になっちゃえば、結局”ウィルスだらけじゃないヤツが異常”って事になります。

ネオのいう「そら必然ッス」ってのは、あながち的ハズレじゃないなぁ・・と思ったわけです。

世界中が悪人99%善人1%だとすると、どう考えても1%の方のいう正義が問題なんじゃないの?と疑り深くなりますよね?それを信じてること自体正しく無いんじゃないの?って。なんかそう考えると、物事の基準というのは、実のところドコまでいっても確証など無いのがどうも現実っぽいです。

同じように勝者100人で、負けがたった1人だと、かえって立派なのは負けてしまった、たった一人に視線が行きますよねぇ。

わたしが、ちょっといつも感じるのはソフトウェアなどのプログラミングで、結局のトコロ突き詰めて突き進むと、なんだかんだいっても”実際コンパイルして実行しないと何ともいえない”というところに行き着くところ。・・まあこれは専門でその分野の方から聞いた話ですが・・(JAVAの開発者だったかな)。

なんでそうなるか?という部分は結局「ほとんど誰にもわからない」ンだそうです。うーん人が月にいけるという技術が、結局「なんだかよくわからないんだけどねぇ」というのも・・心境としては複雑です。

それと話が変りますが、例えば掲示板やブログで何かを書いてその批判が集まるとき、どうして人は過熱というか過剰な反応をすることがあるのか?ってことですが、これには科学上の理論が過去にきちんとあって、アタシはそれをよんで「なるほどぉ~」って思いました。

例えば、直接人とお会いして目の前で話しているときは、五感を駆使してその人を感じ取れます。この状態がチャネルをフルに使ってる状態。

次に電話をすると、もはや相手の顔は想像の産物でしかなく、声のトーンでご機嫌をうかがうしかありません。しかし、人が直接声を出しているので、チャネルはまだチャンと機能していますし、パイプが細くなてもなんとか人間性が感じられるわけです。

ところがこれが文字だけになると、途端にその書き手の文章力やスキル、果てはパソコンに対する嫌悪感まで含めてその表現はドンドンキーボードだけに集約されていきますから、人間性というチャネルの大半、たとえば行間に込められた気持ちとかは、無惨にもドブにすてられます。

こうなると、明るい気持ちでそれを書こうが、ひねくれた気持ちで言葉を書き殴ろうが結果として表れた感情の大半はネットの回線に載せることは出来ません。つまりタダの文字。ですから、そこに人間的優しさを込めるというのは、実はすごい高度な技術で、普通の方がさらさらと出来るわけ無いんです。ゆうなれば、「つたない文章に」対し「理論責め」でいくので、最終的にケンカになっちゃうわけ。

人間くさいというチャネルがほとんど0(ゼロ)の状態では、絵文字とかスマイルマークとかでなんとかフォローしないと、誤解されるかもと懐疑的になるのは気持ち的によくわかります。

自分の思ってることを、すらすら文章に出来たら誰でも作家になれるわよ^^;;

これはSLのチャットでもある意味同じで、まあそれをカバーするためにジェスチャーや、アニメなどがあるんでしょうが、いまんとこ「見かけ重視」指向ユーザーが大半なので、「感情」の部分をフォローする何かがあれば、こうしたメタバースは急速に拡大するでしょうね。

映画としては、全然面白くないんですが、メッセージとしては異色の作品だなあとは思いました。




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Posted by arado at 00:30│Comments(0)独り言
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